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Heritage - 技術史・社史

1995年 ZHF(中国)の立ち上げ

1995年 ZHF(中国)の立ち上げ

王 禎さん

当時の新聞「西江日報

肇慶市の地元新聞「西江日報」の一面に肇慶本田金属有限公司設立の記事が掲載



HFがはじめて中国に進出する方向性を決め、中国地に踏み出す現地調査(F/S)に入るのは1993年半ばであった。当初はHM2輪の一つ目の拠点である「嘉陵本田」をターゲットとして、中国西部の山奥に位置する重慶にあるピストン専門メーカー(現重慶マーレの前身)と交渉を進めていた。しかし、1994年には経済発展の著しい南部に位置するHM中国の二つ目の拠点「五羊本田」にターゲットを変え、広東省肇慶市に候補地を変更した。

肇慶市は中国南部の最大都市である広州市から西へ100km、広東省の西部山地区の中小都市と称される。当時は中国が経済発展を本格的に開始してから10年足らず、広州から肇慶市までの高速道路がなく、国道一本しかない状態であった。その頃、高速道路の建設が始まり、広州市から肇慶市の中間地にある佛山市三水区(HFFと同じ行政管轄市)は、その影響で10km余りの国道は泥地となっていて、広州から肇慶までの車で移動は3倍である7~8時間を要した。また日本から広州への直行便もなく、自宅を早朝6時前に経ち、香港経由で肇慶に辿り着くは朝明け3時、片道で20時間を費やした辛い経験が何度もあった。

やっと肇慶に着きホテルに泊まる段階でまた一苦労。当時の肇慶はかなりの田舎の町で外国人は滅多に入ってこないため、外国人の宿泊できるホテルは一か所のみ、また前払い制で外貨両替により複雑な手続きを必要としチェックインには2時間以上も掛かった。当時の本田関係の部品メーカーは、広州市または近在で繁栄しているた都市を選択しする風潮だったが、敢えて偏僻地且つ日本人の生活に苦痛とされる肇慶市にHF発の中国拠点を決定しのは、まわりからは大胆な決断とも言われていた。

あれから約20年の時間が経ち、肇慶市はすっかり田舎から脱皮し近代的な都市に変貌(多少)し、広州からの移動時間は1.5時間までに短縮され、快適な生活環境に整備されていった。

ZHFも肇慶市発展に大きな貢献を寄与し、経営者は三代にわたり「肇慶市栄誉市民」という最高の勲章を受けるほど、地域社会に大きな存在価値のある企業に成長してきた。

HFも、今回の50年を起点にして更なる100年を目指して、「田舎地のパイオニア精神」を初心として忘れず、培った経験を活かし、他の世界新興国で活躍し続けることを信じている。

設立式典

設立式典:舗装されてない泥地の上で

ZHF(中国)会社看板の除幕式

会社看板の除幕式:農家ような厚生棟の前で記念写真

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